「京都」と自分との関係・・・・(^・ω・^).....ンニュニュ?

新春はてなダイアリー書き初めキャンペーン

今回、このはてなダイアリーの企画に「便乗」させて頂く事に致しました。
とはいえ、今年のブログ更新から数えて4回目の更新という事は黙っておいて頂きたいのでありますが・・・(; ̄ー ̄A アセアセ・・・

自分が選んだ題材は、「2009年あなたと京都」です。
あなたとε=ε=ε=ε=( * ̄▽)ノノ ||コンビニ||ファミリーマートでは、ありません。(爆)

実は、自分と「京都」との接点は、全くもってありません。(T▽T)アハハ!
強いて言えば、すでに故人となった、自分の父方の祖母の出身地が「京都」だという事以外には、全く接点がないのです。ぬぅ(; ̄− ̄)...

はてな」の本拠地が京都に戻ってきたのは、知っておりましたが、これと言って感慨にむせるようなことはありませんでした。

ただ、自分の住む鹿児島と京都とは、歴史的に深い結びつきがあるのです。
日本の方言で、特別に難解な部類に入る地元鹿児島弁の多くは、古い「御所言葉」が起源といわれているのです。
例えば、鹿児島弁で豆腐のことを「おかべ」と言うのですが、そのルーツは、御所で宮使いをしていた女官の人々が、御所の白壁を豆腐に見立てて、「御壁(おんかべ)」と言ったのが語源だそうです。(  ̄− ̄)フムフム

それと、昨年のNHK大河ドラマ篤姫」でも紹介されましたが、長らく薩摩の領主であった島津家と公家の名門の近衛家とは古くからの縁戚関係があり、篤姫が島津家の分家から、徳川家第13代将軍御台所となったのは、この縁戚関係があったからなのです。

一般に、鹿児島と京都は、「歴史」のある地域としてのプライドが高く、あんまり人付き合いは、「オープン」ではないと云われております。京都の古い町屋は間口が狭く、「うなぎの寝床」と揶揄されることがあります。
また京都の「人間性」を端的に表した言葉が、「ぶぶ漬け」です。
この説明は、敢えて「割愛」させて頂きますが・・・・。(*≧m≦) ププッ

一方、地元鹿児島の場合は、関ヶ原の合戦で「西軍」として、東軍の本陣である徳川家康に対して、敵中突破を果たしたほど、中央集権に徹底的に「抗戦」した、数少ない藩の一つだっただけに、長い間「二重鎖国」状態を貫き、その中で生み出されたのが、前出の「鹿児島弁」でした。

そのような歴史的背景があるので、何故か「京都」と「鹿児島」とは、親しみがあるのです。
ただ、そこの人間性には、少し違うものもあるのですが・・・。

京都と言えば、悠久の歴史の香りが未だに残る、数多くの有名な古刹や神社などの「歴史的建造物」と、艶やかな庭園、それと「舞妓・芸妓」などの、如何にも古都の薫りがする文化が、目白押しです。

一方、地元と言えば、明治新政府の元で行われた廃仏毀釈で、県内の古い寺社はことごとく破壊され、おまけに明治10年西南戦争で、官軍の総攻撃を受け、明治以前の歴史的建造物は数える程しかない地域です。それもあって、全国的に多い仏教関係や由来の民族舞踊や行事が、この県においては殆ど無いのです。僅かに夏の「祇園祭」だけが行われるだけです。

そのような訳で、歴史的には「縁」のある地域ですが、自分には「縁遠い」ものです。
関西には、結構親類縁者が多く暮らしているのですが、何故か「京都」にはおらず、奈良・大阪・和歌山・兵庫にいるのです。
中々、関西圏に行くことが無いので、是非訪れてみたい地域です。(^-^*)(。。*)ウンウン

普通は「高校時代の修学旅行」で行く定番の場所のようですが、自分の高校時代は「修学旅行」は無く、その代わり高校2年の夏休みに、2泊3日の「キャンプ研修」が行われただけでした。

京都は、新幹線で通り過ぎたイメージしかないものですから、機会がありましたら、是非「古都めぐり」をしてみたいものであります。