気になる出来事。

確か、この企画の便乗記事を1月に“〆(^∇゚*)カキコ♪してから実に半年ぶりなのですが、参加しようと思います。


「気になる出来事」という今週のお題なのですが、地域的にも時期的にも、隣接する宮崎県東部の都農(つの)町を中心に国内で10年ぶりに感染が確認され、周辺地域一帯に猛威を奮っている「口蹄疫(こうていえき)」問題です。


つい、数日前まで宮崎県南西部で、鹿児島・熊本両県に接するえびの市でも4件の感染例が報告され、一時この鹿児島県内でも県境を接する湧水(ゆうすい)町や、家畜の移動制限区域に含まれた、県北部の伊佐市や地元である霧島市北部では、感染拡散防止の為対象区域への交通手段である鉄道・及び幹線道路において、駅の改札口や市町境での徹底した消毒作業が行われていましたが、先月5月18日以降、他の畜産施設における感染が報告されず、6月4日(木)午前0時をもって、この地域での移動制限は解除され、通常の畜産業務が行われるようになりました。


ただ、最初の感染例が報告された宮崎県東部の都農町を始め、隣接した川南・高鍋・新富の4町では、すでに200を超える牛舎や豚舎で口蹄疫が蔓延し、今回は非常に感染力が強く、家畜に症状が出た畜産施設では、これ以上の感染拡散を防ぐ為にも、すべての飼育家畜を殺処分しなければならないという大変非情な決断を迫られました。特に今回は、その症状の「判別」から発生確認まで、20日以上の期間があり、その間に広範囲に感染が拡大したこともあって、初期動作の遅れが大変問題になりました。


今回の口蹄疫問題に関して、政府や宮崎県の対応がいろいろな場面で問われる状況になったのは、ある意味止むを得ないのかもしれません。実際ちょうど10年前にも、宮崎県と北海道で口蹄疫の発症例がありました。その時は迅速な対応で、初期段階で被害頭数35頭という軽微な被害で収束できました。


ただ今回の口蹄疫は、その時とは比べ物にならない感染力で、とても安易に事態を収束できるようなものではありませんでした。4月半ば、都農町を皮切りに、南隣の川南町、高鍋町、さらに、宮崎市に隣接する児湯(こゆ)郡新富町と感染域が南下しています。現在はこの4町以外での新規感染例が報告されておりません。今まさにギリギリの状態で感染拡大を踏み留めている状況です。



日を追うごとに感染の被害に遭われた畜産農家の支援と言う名目で、全国の募金援助団体や大型スーパーで、現在流通している宮崎県産の畜産加工商品セールが盛んに行われています。地域激甚災害以外での募金支援では、今回がおそらく「初のケース」かも知れませんが、それだけ全国の畜産供給基地を担っている宮崎での口蹄疫被害は、ほぼ「壊滅」に近い状況です。


最大の被害は、近年高級牛肉ブランドとして、人気を確立した宮崎牛のいわばブランド牛生産中枢機能を背負った種牛にまでこの「疫病」に感染が及んだ事です。今回、県の家畜改良事業団(高鍋町)で県として50頭以上を保有していたのですが、数頭に感染例が見つかって、政府の「特例措置」で現状では「監視状態」の5頭を除いて殺処分するという大変つらい決断を強いられました。


その処置方法を巡って、宮崎県と政府との大変な意見の衝突もありました。ネットでは、マスコミでもネットでも有名な東国原知事への同情論と、政府に対する半ば批判を銘打った「叩き」が横行。一方、マスコミは政府側の対応を優先・・・と視点の違う報道合戦が繰り広げられました。ただ、この時点で「責任論」の擦り合いをする暇はありません。


まず、これ以上の拡散を防止するための対応。殺処分された家畜の処理、被害農家に対する生活保障、宮崎牛「復活」に関しての支援体制・・・・と、抱える問題は山ほどあります。
一つのブランドを商品として市場に出せるまで、平均最低でも10年ぐらいかかるそうです。ブランド扱いになると、最高級品は20〜50年ぐらいに1頭の確率しか誕生しません。


宮崎の種牛から、県外の鹿児島(鹿児島黒牛)・熊本・佐賀(佐賀牛)・滋賀(近江牛)・三重(松阪牛)・長野・北海道等の「名産牛」の供給基地として長年の役割を担った地域での今回の「口蹄疫問題」は、畜産業界や加工食品業界には、大打撃でした。それ以上に、観光立国を宣言している宮崎県では、主力の観光産業にも大幅な損害をもたらしています。


宮崎牛とともに失われた畜産王国の「再生」は、そう「容易い」ものではありません。
「純県産」を再び市場に出せるのは早くても4、5年先にはなると思います。
これを機に畜産業から身を引く農家を出さないためにも、数日前誕生した菅新政権と、宮崎県、それと全農を始めとする各業界が力を合わせて、畜産農家への十分な支援体制のもと、再び宮崎牛を始めとした「畜産王国・宮崎」を、同じくその任を負った隣県・鹿児島から微力ながら応援していきたいと思います。これまで畜産においては、全国1,2位を争い切磋琢磨してきた地域ですし、隣県ということもあって、宮崎県産の畜産製品に接する事も多いです。自分も一時期、その生産地の一大地域であった都城市に在住していました。あの都城で食べた宮崎牛のステーキの味は、未だに忘れる事がありません。


ますは、口蹄疫の1日もはやい「終息宣言」とも言える「口蹄疫非常事態宣言」の解除。東国原知事の主導のもと宮崎県畜産製品の復活を心待ちにしています。